尾畠春夫さん旅に「異常事態」発生!1100kmの徒歩帰宅を断念!理由をチェック!

 

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2018年8月15日:山口県大島郡周防大島町家房で行方不明になっていた2歳の男児

救出した ボランティアとして一躍有名になった「尾畠春夫」さんが、

 

「世界のこどもたちの幸福を願う旅」 の出発して、26日目で断念していることが分かり、話題を呼んでおります。

 

あれだけ話題になり、沿道の方々の支援も旺盛だったのですが、 なぜ中断せざるを

得なかったのでしょうか?

 

ここでは、尾畠春夫さんのWiki経歴と“旅の中断の理由”に迫ってみました。

 

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尾畠春夫氏ののwiki風プロフ

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◆ 名前:尾畠春夫(おばたはるお)

◆ 生年月日:1939年10月?日(79歳)

◆ 出身地:大分県国東市安岐町  

◆ 身長:161㎝

◆ 職業:ボランティア活動家

◆ 家族:妻(1963年結婚)、息子(48歳)、娘(45歳)、孫娘1人、孫息子4人、  

「カミさんは、5年前“自由になりたい”と、に旅に出て・・、まだ帰ってこない」

とか? 

尾畠春夫さんの経歴

・父は下駄職人であったが、履き物がゴム製品に変わる頃で、商売は順調では

 なかった。

 

・母は専業主婦であったが、尾畠が小学校5年生時の41歳で他界

 

・7兄弟の4番目の尾畠は、「大飯喰らいだから」という理由で一人だけ近所の農家に

 小学5年生 で奉公に出される

 

・1955年(昭和30年)に中学を卒業するとすぐに姉の紹介で別府の鮮魚店の小僧となる

 

・別府の鮮魚店で3年間修業の後、下関市鮮魚店で3年間フグの勉強をする

 

・40歳から趣味で登山を始め、45歳の時に北アルプス55山を単独縦走

 

新潟県中越地震を皮切りに、東日本大震災熊本地震西日本豪雨などの多くの

 被災地で活動を継続。

 

・2011年3月、東日本大震災被災地の宮城県本吉郡南三陸町では、がれきの中に埋もれ

 た思い出 の写真などを拾い集める「思い出探し隊」の隊長として約500日間

 活動した。

 

・同年11月7日には尾畠を指す言葉として有名になった「スーパーボランティア」

 が 「2018 ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた

 

・2018年8月15日:山口県大島郡周防大島町家房で行方不明になっていた2歳の男児

 救出す るためボランティアとして現地に赴き、3日間発見されなかった男児を、

 およそ30分の間に 発見し救出し、一躍有名になった。

 山口県警より感謝状を受ける。

 

 連日のニュースでスーパーボランティアとして話題となり、 著名な芸能人などから

 称賛されたのです。 

 

・2012年に大分県「ごみゼロおおいた作戦功労賞」、

 

・2014年に環境省平成26年度地域環境美化功績者表彰」、

 

・2018年に大分県「日出町功労者表彰」および大分県大分県功労者表彰」を

 受賞している。

 

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尾畠春夫氏の1100キロの徒歩帰宅を中断の訳は?

1月19日に東京を出発し、自宅のある大分まで約1100キロを徒歩で帰宅中だった

スーパーボランティアの尾畠春夫さん(79)が23日(土)に浜松市内で断念し、

大分の自宅に帰宅していたが分かった!

 

目標は、30日間の計画であったが、先週土曜日に断念せざるを得なかった。

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【世界のこどもたちの幸福を願う旅】の実績は、

 

・1月18日:東京練馬の中学校で講演し、19日出発した。

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・1月20日横浜市通過。

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・2月5日:沼津市通過

 

・2月12日:静岡市清水区通過。

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・2月17日:静岡島田市通過。

 

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 ・2月22日:静岡磐田市通過。

 

・2月23日:浜松市到着→断念

 

どこへ行っても沿道の皆さんに囲まれていたのです。

 

尾畠さんは

「歩道にも車道にも車を止める人がいて、人も歩けない自転車も通れない状態となり“これは異常事態”だなと」

とし、

 

「私は来てくれた人が悪いとか、なんだかんだじゃないんです。総合的に見て“交通事故になるな”と思ったから。人の命にはかえられないから。

幼い子ども、高齢者の命にしても。

もう、今回はこれで打ち切ろうと思いやめました」

 

と断念した理由を涙ながら明かしたのです。

 

youtu.be

 

動画を見ると、

 

・歩道も沿道の皆さんが詰めかけて応援し、歩行者に囲まれていた。

 

・車も停車し、尾畑さんを励ました。

 

・対向車線にも停車する車が発生し、渋滞し事故の恐れがあった。

 

尾畠さんは、

 

「いつ事故が起きてもおかしくない!今回は人命にかかわることもあると思うし、 それ以上の事故があった時に取り返しがつからね!」

 

とも言っておりました。

 

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尾畠さんの今後は?

先月中学校での講演では、

 

「大分到着後は、沖縄のガマ(洞窟)に遺骨収集に行く。」

 

と言っておられたのですが、帰宅後には以下のように語っておりました。

 

「支援物資とか、いろんなものを頂いた方々に対しても、『すまない気持ち』と『嬉しい気持ち』と、いろんなものが入り交じって、

いま、頭の中がこんなになってるんですよ」

 

「励ましの言葉を≪いただいたのに、途中で辞めて・・・逃げ帰った状態になったけど。 受けた恩は忘れないから。

必ず何かの形で、どんな形かわからないけど、恩返しはさせてもらいたいと思います。」

 

どんな形にせよ、何かを考えているようです。

 

ミヤネ屋は「本当にレベルが低い番組」(2月22日追記)

「今や時の人となっている尾畠さんをひと目見たいと、ゆく先々で地元民が集まり、収拾がつかなくなっていたようです。気持ちは分かるのですが、尾畠さんは一般人ですから温かく見守るという姿勢も必要だったんじゃないでしょうか。一方で、マスコミの加熱報道にも批判が集まっています。『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)では、連日〝今日の尾畠さんコーナー〟を放送していて、番組を見た人が尾畠さんを追い掛けるきっかけを作っていたため、糾弾する声が広がっています」(芸能記者

(出典:以下です)

myjitsu.jp

 

まとめ

いかがでしたか?

沿道に皆さんの心も分かりますが、尾畑さんの決断も正しかったのです。

 

娘さんが、浜松の迎えに来たそうですが、

「逃げ隠れはしない」と涙ながらの言っていた姿が印象的でした。

 

尾畠春夫さんの「世界のこどもたちの幸福を願う旅」はこれでは終わりではないようです。

 

関連記事は以下にもあります。

 

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